35歳の時、子どもの頃からの思いを貫いて家を買ったからこそ、ここに辿り着くことができたとも言えます。「おぉ、今までよくがんばったじゃん」と、自分で自分を褒めてやってもいいんですけど。まぁ、死に場所を見つけただけのことだと言えば、それまでです。(笑)

軽井沢と縁ができたのは30代。テニスに夢中で、軽井沢によく通っていたんです。当時は新幹線も通っていなかったので、とてもじゃないけど日帰りはできない。泊まるところをと思って、40代で拠点を作りました。ただ、お金がなかったから、傾斜がきつくて安い土地を買い、家を建てたんです。

ところがこの家に思わぬ使い道ができました。テレビに出るようになると、バッシングがすさまじくて、東京にいると落ち着かない。ボロボロになった心身を休めるため、仕事が終わると軽井沢にこもるようになりました。

山奥だったので、人の気配もなく、たまに訪れるのはキツネとタヌキとサルくらいだったのもよかった。その生活が今も続いているわけです。

ただ、コロナ禍が始まってしばらく経った頃、山を下りて散歩していたらいきなり胸が苦しくなって歩けなくなり……。その時は大事には至りませんでしたが、もし人気のない所で倒れたらそのまま誰も見つけてくれない、なんてこともある。

もうすぐ80歳だし、山を下りなきゃだめだな、と思いました。2階を仕事場にしていたのだけど、正直、階段を上るのもきつくなっていた。そこで親しくしている建設業者に軽井沢の平地で土地を探してもらい、また即決。思い出の家は売りに出すことにしました。

こういう時、決断が早いのは、たぶん日頃からいろいろ考えているからでしょうね。何かきっかけがあると、すぐに行動に移せる。新しい土地に建てた家は倉庫から仕事場、リビング、寝室に至るまで、階段なしで行き来できる平屋にしました。