さだ 食事とおやつの休憩はありました。上手になって弾くポジションの順位が上がると、譜面が配られて初見奏です。
前橋 その時、さださんは小学生でしょう?
さだ はい。僕は中学に入る時、ヴァイオリンのために1人で上京して下宿生活を始めましたから。でも前橋さんは、東京どころかレニングラードに行かれたわけです。
前橋 17歳で高校を中退して、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)音楽院に留学しました。横浜港から船に乗って太平洋を北上、津軽海峡を渡って日本海に出て、ナホトカまで3日かかりました。ウラジオストクまで汽車で24時間。シベリア大陸を横断し、モスクワ経由でレニングラードへ。
さだ 横浜からどれくらいかかるんですか?
前橋 1週間かかりました。冷戦の1960年代ですから。スターリンが亡くなってから8年しか経っていない。今思うと知らない土地によく飛び込んでいけたな、と。
さだ なぜ、留学したいと?
前橋 世界的ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの素晴らしい演奏を聴いたからです。日ソ国交回復の前年に初来日したオイストラフのコンサートが、日比谷公会堂で開かれました。母はどうしても私に演奏を聴かせたいと、高価なチケットを1枚だけ買って。コンサートが終わるまで、母は階段の下で待っていました。
さだ どんな演奏だったのでしょう?
前橋 初めてプロの見事な演奏を聴きました。ヴァイオリンを自由自在に、まるで体の一部のように弾く演奏に触れ、子ども心にもすごく感動して。ソ連に行けばあんなふうに弾けるようになるんじゃないかと(笑)。それでどうしてもソ連で勉強したいと思ったのです。
さだ レニングラード音楽院といえば、1回生がチャイコフスキーですね。
前橋 私は音楽院の創立100年記念の行事の一環で、共産圏以外から選ばれた初の留学生でした。
さだ チャイコフスキーの後輩じゃないですか。
前橋 そうです。(笑)
さだ 羨ましい。「私の先輩、チャイコフスキーなんです」って言ってみたい。