『ひかりの道』2009年
絵を描き始めた初期の作品
※展覧会に初期の作品は展示されません

退院した翌日に、娘の絵の具で描き始めた

事故直後は自分がディジュリドゥ奏者であることも忘れていたのですが、お医者さんから、「記憶には脳が覚えている記憶と、体が覚えている記憶の2種類がある。体の記憶は少々の傷くらいでは影響を受けないから、リハビリを頑張りましょう」と言われて。ほんまかいな、と思って吹いてみたら、循環呼吸がすぐにできた。すごいですよね、体の記憶って。

そこで、事故後7ヵ月でバンドの練習を始め、11年には音楽活動を再開。けれど、最初の頃は何をやっているのかよくわかっていない部分もあった気がします。みんなに背中を押されステージに上がって、とにかく吹いて帰ってくる、みたいな感じで。

でも、お客さんが楽しんでいる姿を見ることは、リハビリをするうえで活力になった。作曲して曲を覚えられるようになるには、8年くらいかかりましたけど。地道に練習を重ね、体に覚えさせるしかない。これは、今も同じ。

絵を描き始めたのは、退院した翌日のこと。突然「絵の具ある?」と妻に尋ね、渡された娘の絵の具を使ってひたすら点を打ち始めたのだとか。なぜ絵を描き出したのか、なぜ点描なのかはいまだにわかりません。

ただ、点を打っていると頭の中が整理され、物事の時系列などもはっきりしてくる。僕はあの日からずっと、描かずにはいられない衝動に駆られ続けているんです。

アクリルガッシュを使って点を打っていく。盛り上がった点の集合体は、見る角度によって表情を変える