資本の論理と人間の論理

堤清二は、1979年に刊行した著書『変革の透視図』で、流通産業は「資本の論理」と「人間の論理」との境界領域にある「マージナル産業」であると規定した。

「流通産業は商品が消費者の手に渡って、交換価値から使用価値に転化する場所に位置しており、いいかえれば、資本の論理と人間の論理の境界にたっている産業だと考えられる」と表現している(堤1979)。

交換価値とは、売り手にとっての価値に属するもので、価格で表現され、高ければ高いほどよい。対して、使用価値とは、消費者にとっての価値であり、生活欲求に応える有用性で判断される。

堤は、自ら従事する流通産業の存立基盤を、この異質な基準をもつ二つの価値をつなごうとする点に求めたのである。

交換価値から使用価値への転化という捉え方は、マルクスの『資本論』をベースとするが、堤の議論は、その転化の先を人間の論理と読み換えたところに特徴があった(由井編1991b)。

学生運動の経験を持つ彼にとって、マルクスの『資本論』はその頃から縁の深い本であったが、1970年代後半になって読み直してみると、同書の「消費」の規定のなかに、「本来、人間の個性的な生活過程であるべき消費」という記述があることに気づく。

「本来、人間の個性的な生活過程であるべき」という部分は、「学生時代に読んだ時は完全に読み落として」いたのだという(『RIRI流通産業』1996年5月)。

消費を「個性的な生活過程」という人間の論理に引きつけて読み込もうとする堤のこうした読み方が、1970年代という時代の影響を強く受けたものであったと理解できよう。