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特ダネを狙う記者と情報操作を考える官僚――国民に情報が届くまでに水面下で行われている攻防とは。元外務省主任分析官の佐藤優氏、そして元朝日新聞編集局長の西村陽一氏が、お互いの手の内を明かした『記者と官僚』より、一部抜粋してご紹介します。取材されるにあたり、やりやすい記者とやりにくい記者がおり、特に正義感の強い記者は重要な存在だったそうで――

「国益」と「国民の益」

西村 正義感の強い記者を搦め捕る――いや、説得するにあたっては、どんな方便を使うんですか?

佐藤 記者は「国益」という言葉に弱いという実感がありますね。

西村 なるほど。国の益は政府だけではなく、国民の益でもある。だから、知る権利への貢献をとことん貫くことと「国民の益」は一致することもあるのだけれど、官僚に言われて、両方を天秤にかけ、官僚側のレトリックに傾いてしまうという傾向もままあるのかもしれない。

佐藤 自分としては意外だったけど。というのもキリスト教では、教会は国家と緊張状態にあるものと教えられているし、私は高校生時代に社青同(日本社会主義青年同盟)で活動をしていて、国家なんてろくでもないものだと思っていたから。

西村 私個人の経験では、国益を盾にされてすんなり引き下がったことはない。むしろ政府が国益を振りかざすことがいかに危険なことかという思いがある。

メディアが政府と一体になって国益を合唱する場合は特に。それは戦前、戦中の例、私がいた朝日の当時の報道も含めて。報道が国益に沿うものでなければならないとか、愛国的報道がどうあるべきとか、政府が決めるものではないですよね。

記者が個人として、メディアが組織として、自分の頭で考えて考え抜いて、読者と国民に説得力ある言葉で「国益」と「公益」について伝えられるかどうか、その判断が後世の審判に耐えられるかどうか、ということだと思います。