生き返って覚悟を決めて
唐十郎との出会いから一年半ほど後、もう一つの大きな出会いがあった。暗黒舞踏の創始者・土方巽(ひじかたたつみ)。こちらは麿さんより15も歳上の大人だった。
――正月三日の夕方、目黒にあった土方巽の稽古場を、人に連れられて訪ねました。薄暗い板の間に、いがぐり頭に眼のギョロッとした男がドテラを羽織って、七輪の上で餅を焼いてました。その鋭い眼光の奥に広がる優しさを感じて、僕は兄貴に巡り合ったような気がしたものです。
土方さんの稽古場は、昼間は空いているというので、唐さんの芝居の稽古場に使わせてもらうことになったり、またここへ出入りするすごいメンバーと知り合ったり。
ざっと挙げても、埴谷雄高、三島由紀夫、澁澤龍彦、池田満寿夫、種村季弘、赤瀬川原平、荒木経惟、篠山紀信、高橋睦郎、嵐山光三郎……。ですから僕は20代前半で大きな出会いが二度あったわけですよ。唐さんと、土方さんとの。
アルバイトの「金粉ショー」の話も是非。映画の『007ゴールドフィンガー』によると、皮膚呼吸ができなくなるため15分で絶命だとか。
――あれは嘘(笑)。でもそれを利用して、「こっちは命がけなんだ!」とギャラを釣り上げたりしましたね。芝居用のテントを買うために唐さん自身もやりましたけど、唐さんはプクッとして布袋様みたいで、もう一人の針金みたいにやせた奴と組むと、鉄条網に豆タンクが引っかかったようで、可愛いっちゃ可愛い(笑)。
僕は李さんとよく組みました。浅草のロック座とかフランス座とか、ストリップショーの前座に出るんですが、そのころビートたけしさんも前座で出てて、「あれが前衛だってよ」なんて僕らを見て言ってましたけどね。