樹木希林,五代目・中村勘九郎
1976年頃、樹木希林さん(悠木千帆)と五代目・中村勘九郎さん(当時)(『人生、上出来 増補版 心底惚れた』より)
樹木希林さんが悠木千帆の名前で活動していた1976年、当時の男性著名人との対談連載が雑誌『婦人公論』で始まりました。30代前半の希林さんだからこそ聞けた、才人たちとの「男と女」にまつわる深い話。そして2025年3月、連載と新たに未公開インタビューを収録した『人生、上出来 増補版 心底惚れた』が刊行に。今回は、当時20歳だった五代目・中村勘九郎さんとの対談から一部抜粋してお届けします。
五代目・中村 勘九郎(なかむら かんくろう)/歌舞伎役者
1955(昭和30)年5月30日東京都生まれ。59年、五代目中村勘九郎の名で初舞台。2005年、十八代目中村勘三郎を襲名。祖父と父の芸を継承し、古典から新歌舞伎までどんな役でも魅せる一方で、「コクーン歌舞伎」や「平成中村座」を立ち上げ、意欲的に新作に取り組んだ。芸術祭賞、第52回菊池寛賞、紫綬褒章、ジョン・F・ケネディセンター芸術金賞ほか受賞多数。12年12月5日死去。享年57。対談当時は20歳。この4年後、歌舞伎役者・七代目中村芝翫の次女好江と結婚。

女ってこわくないですか

悠木 今までフリーになったときあります。だれもいないときって。

勘九郎 ないですね。

悠木 やっぱり何となくダブっている。

勘九郎 そうですね。

悠木 それは女は平気なのよ。一瞬の空白というの持てるのね。男の人のほとんどは、みんなダブっている。それ見ると男というのは弱いものなんだって思うの。

勘九郎 そういう感じしますね。男のほうが何かかわいい感じ。ぼくが男だから言うのはおかしいけれども、何でも女の人って間違えたことあんまり言わないところあるんですよね。ぼくのほうがこけたり。それは絶対。

悠木 それを辻つま合わせようとするでしょう、男のほうが。

勘九郎 こけたのに、居直ってね。

悠木 もとのところが間違っているのにね。そういう迫力っていうの感じると、ますます女ってこわくないですか。それとは別に惚れますか。

勘九郎 そうですね。たとえば何かやって負けるでしょう。そうするとカッときておこるでしょう。わざと負けてくれたりする人がいるわけです。そういうのはとてもいやなわけ。こっちはおこっているのに、勝つ。そうすると、ああ、いいなと思う。