ありがたいことにまだすることがある
徹夜して、さぞかし原稿書きにいそしんでいるだろうと思われるかもしれない。そうであればいいのだが、そうではない。
ありがたいことに、こんな歳になってまで、まだいくつか仕事をもらうことがあるのだが、よおし、といった意気込みがないのである。
いや、ないわけではないのだが、それが日々に生きてこないのだ。生来が怠け者だから、つい映画とか本とかYouTubeとか、録画した番組を見たりと、楽なほうに流れてしまうのである。
気負いはないが、もちろん、書くときはまじめに、真剣に書く。わたしにできることは、まじめに、真剣に書くしかない。
仕事を頂けるということは、日々の見えない張りになっていることは間違いない。こんな歳の老人にまだ仕事をくれることに対して、報いなければならないという気持ちは当然ある。それがわたしが持てる唯一の意思である。
仲間たちとカラオケに行かない。ゲートボール(パターゴルフ)もしない。せっせと食べ歩きをしない。飲み会とやらもしない。そもそも、仲間がいない。
だめだこりゃ、でしょ。話にならん、とお思いでしょ。しかたないのである。こういうふうに生まれついてしまったのだから。
もちろん、はやりのソロキャンプもしないし、サウナにも行かない。いったい、サウナが好きな老人って、いるのか。
基本、無趣味である。それでもミステリー小説を読むのが好きである。その他、歴史全般にも興味がある。デジカメで写真を撮る。映画を見る。かようにわたしの生活は簡単・簡素である。
※本稿は『77歳、喜寿のリアル:やっぱり昔は良かった!?』(草思社)の一部を再編集したものです。
『77歳、喜寿のリアル:やっぱり昔は良かった!?』(著:勢古浩爾/草思社)
もはや文明がどん詰まりまで来て、私たちの暮らしは便利になっているはずなのに、
なぜか昔に比べて生きにくくなってきているのではないか。
時代遅れのあの当時のほうが、現在の進んだ時代よりもよかったのではないか――。
累計16万部突破のロングセラー『定年後のリアル』シリーズの著者が、
77歳の「なんの変哲もない日々」の近況を明かしつつ、
過ぎ去っていった「あの頃の時代」を徹底的に懐かしむ。