焼夷弾と火の粉が降り注ぎ、父親とはぐれた
父親はどこでも食べ物の煮炊きができるようにと、ヘルメットではなく、お米を炊くお釜を頭に被った。弟は情報を得るためにラジオを持った。今のような電池を入れる小さなものではなく、コードが付いてコンセントに差し込む大きなラジオだ。母はコンセントがなければラジオは聴けないと思ったが、戦争が終わったら、のんびり大相撲放送が聴けると希望はもてた。
母は、卒業するまでは制服は大切だと思い、制服を守るために、いろいろな服を重ねて着た。
焼夷弾が雨のように落ち、燃える家々からの火の粉が風に乗り降り注ぎ、母の服に火がついた。母は1枚、1枚、着ていた服を脱ぎながら逃げた。防空頭巾を被り、髪が燃えないように、しっかりと三つ編みにしていた。
逃げる母たちの回りでは、街の人々の地獄の光景があった。子供の手を引いて逃げる母親は、炎と火の粉に追われ、子供の手を放してしまう。子供は母親を追えず、動けなくなったり、別の方向に走ったりして、母親を呼ぶ。母親は子供の名前を叫ぶ。お腹の大きな妊婦が倒れていた。米軍の大型爆撃機B29が低空飛行をしているので、私の母は若い腕力ならB29に届くと思い石を投げようとしたが、傍に石がなかった。
逃げるうちに、母と弟は父親とはぐれてしまった。防空壕を見つけたが、深く掘ってあるわけではなく、頑丈な屋根があるわけでもなく、命の保障はないものだった。母は本所区竪川のあたりのような気がした。父親が、苦しそうに咳き込みながら、母と弟の名前を呼ぶ声がしたが、闇の中に火の粉が舞い、姿は見えない。弟は父親を探しに行き、母は防空壕に入り座り込んだ。
防空壕は女性たちで満員。すると見ず知らずの女性が防空壕に来て、「この子をお願い」と言い、6歳くらいの男の子を母の膝にのせて何処かへ行ってしまった。その子供は重かった。ぐったりして声をかけても、手でゆすっても反応がない。