鬼のような目で「あっちに行け!」と言われ、炎の中で決意

その時、防空壕の奥の人が大声を出した。「こちらに火が迫っている!燃えてしまう!入口の人、外に出て!」。母は、「膝の上に知らない子がのっていて動けない」と言った。すると奥の人たちが、「そんな子、どかせ!」、「あんたが出ないと、みんな死ぬ!」と怒鳴られた。母は、その子を膝からどかして、外に出た。そのとたんに、炎が一気に母を襲った。母は防空壕に戻ろうとした。すると、入口に来た人たちが、「その人を入れては駄目!」、「火がついている!」、「あっちに行け!」と叫んだ。炎の勢いが強まり、その明るさで、母は入り口にいる人たちの顔見えた。鬼のような目をしていた。

その時、父親を見つけられなかった弟が地面を這ってきた。火は酸素で燃えるので、地面の近くの方が空気があったのだ。弟は、「姉ちゃん、右肩だ」、「左足だ」、「腰だ」と指図した。母に火がついた部分を教えてくれたのである。母は火の粉と熱風で、目が見えなくなっていた。火が熱いという感じはなく、息が苦しかった。ところが急に気持ちが良くなり、このまま死ぬのだと感じた。そのとたんに、母に長女の責任感が芽生えた。『ここで死んだら、幼い弟や妹を抱えたお母さんが、私たちの遺体を探すのに大変だ。死ぬなら自宅だ』と思った。

母は弟のように地面に顔を近づけて、生きるために空気を吸った。そして、弟にかすれた声で告げた。「家に帰るよ」。

続きはこちら「東京大空襲を経験した母の記憶。道行く人に渡された1個のミカンが、人間不信になった母の心を救った。防空壕に置き去りにした観音像とショールは今も…」


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