うまいように見事に生きている

諏訪中央病院の救急外来で入院をすすめられましたが、どうしても入院したくないと、翌日、僕の外来に相談に来ました。

本人はやはり入院したくない、死んでもやりたいことを続けたいと、いまの生活に満足しています。

奥さんも娘さんもニコニコしながら、「しょうがないわね。これがおじいちゃんの生き方だから」と納得しています。みんなの心がひとつになってきました。

こうして、畑仕事という生きがいを手放さずにすんだBさんは、病気と付き合いながら、ぴんぴん元気に13年、好きなように生きました。ついに93歳。

自分の時間と、自由な時間を生きているBさんは「死んでもいい」と言いながら、うまいように見事に生きています。

※本稿は、『うまいように死ぬ』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

【関連記事】
鎌田實「メロンパーティを開いて」「シャンソンを聴いて」「讃美歌を歌いながら」医者として<ちょうどいい死に方>を見てきて気づいたこと。結局、人生全体を輝かせてくれるのは…
鎌田實 実の親に捨てられた僕が勇気を出して「医学部に進みたい」と養父に言った日。「あこがれ」を持ち続ければ生きるのが楽になる
「活」のつく言葉にはどんなものがある?ラン活、ソロ活、マネ活…続々登場の背景は?ライフスタイルの多様化が関係か

うまいように死ぬ』(著:鎌田實/扶桑社)

うまいこと生きれば、ちょうどいい死に方ができる!

77歳のいまも医師として、多くの患者に接することの多いカマタ先生。
そんなカマタ先生がいままで出会った人々や自身の体験をもとにまるごと一冊、死の話にこだわって文章をつづりました。

人間は下り坂でこそ上手な人生のギアチェンジができる。
年をとってくると〝忘却力〞というパワーが全開。
上手に利用すると、「ちょうどいい忘却」の状態が起きる。

すると若い頃にはできなかった「ちょうどいいわがまま」や「ちょうどいい堕落」ができ、その延長線上に「ちょうどいい死に方」が待っている。そして、おひとりさまでもうまいように死ぬことができる。