できない善よりできる善
ただ、今度は振り子が振れすぎて、
「募金や、ボランティアは結局、自己満足の偽善にすぎないのでは」
「利他とは崇高なものだから、そんなに簡単に語るべきではない」
という言葉も耳にします。
そう言いたくなる気持ちもわかります。でも、利他のハードルを上げすぎると、結局、誰も実践できなくなってしまう。
ですから、ささやかでもいいから、実践してみることが大切で尊いことだと思います。
「やらない善より、やる偽善」という言葉もかなり受け入れられるようになってきました。煩悩から離れられない人間には、完璧な善などできがたいのですから、できる範囲の利他行から始め、その実践した人をリスペクトする気持ちこそ大事ではないでしょうか。
しかも、本来「偽善」とは、あからさまにいかにも善人らしく見せかけるために行うことなので、完璧に純粋でない善をすべて偽善と切り捨てるのは行きすぎです。
ですから、「やらない善より、やる偽善」は、実際は「やらない聖者級の善より、やる庶民レベルの善」といった感じなのです。
そういう意味を込めた「できない善よりできる善」を大切にしたいものです。
※本稿は、『10人の東洋哲学者が教える ありのままでいる練習』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
『10人の東洋哲学者が教える ありのままでいる練習』(著:筬島正夫/SBクリエイティブ)
みんな、ありのままの自分で幸せになっていいのです。
あなたは、あなたのままで幸せになれるのですから。
「とはいえ、どうすればいいのかわからない」
そんな人にぴったりなのが、東洋哲学です。




