皆のおかげでここに立っていられる

その5年後に行ったエベレスト遠征では、アタックメンバーの選定で揉めることはありませんでした。体調を崩すメンバーが続出し、標高6500メートルから7000メートルまで行けた人はごくわずかだったからです。

8848メートルの最高峰を目指すメンバーに私と渡辺百合子隊員の二人が選ばれたときも、異議を唱える人はいませんでした。(編集部注:実際は田部井氏とシェルパの二人が登頂)

1975年、エベレストのベースキャンプ(写真:『人生、山あり“時々”谷あり』より)

「田部井さん、頼むから行って来てください。そうしたら、私たちは帰れるから」

そう言って、皆、気持ちよく送り出してくれました。エベレストの山頂から見下ろすと、下のほうで豆粒のような人影が荷物を持って歩いているのが見えます。「ああやって皆が荷物を揚げてくれたから、自分が今、ここに立っていられるんだなあ」と、しみじみ思いました。