谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)
1931年東京生まれ。父は哲学者で元法政大学総長の谷川徹三。52年、第一詩集『二十億光年の孤独』を発表。以来2500編を超える詩を創作。ほかに散文、絵本、童話、翻訳なども手がける。『日々の地図』で読売文学賞、『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞などを受賞。伊藤比呂美との対談集『ららら星のかなた』(小社刊)など著書多数(撮影:村山玄子)
1931年東京生まれ。父は哲学者で元法政大学総長の谷川徹三。52年、第一詩集『二十億光年の孤独』を発表。以来2500編を超える詩を創作。ほかに散文、絵本、童話、翻訳なども手がける。『日々の地図』で読売文学賞、『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞などを受賞。伊藤比呂美との対談集『ららら星のかなた』(小社刊)など著書多数(撮影:村山玄子)
大事にしていた家族との時間
父は詩を書くだけではなく、『マザー・グースのうた』や『ピーナッツ』(スヌーピー)の翻訳なども手がけていて、私が物心つくころには、膨大な量の仕事をこなしていました。
でも、誰かと飲んで帰ることはあまりしなかったようで、母(知子さん)と兄と私と4人揃って夕食をとっていたんです。つきあいが悪い父に仕事仲間がつけたあだ名は、《家路》だったとか。
自宅の居心地がよかったという理由もあるでしょう。この建物は1959年、建築家・篠原一男さんの設計で、父が28歳の時に建てた木造家屋。祖父で哲学者の谷川徹三の家の庭に建てられ、昭和のモダニズムの意匠がこらされています。
食事の前に「呼んできて」と母親に頼まれると、私は書斎まで行ってドアをトントンとノック。「ごはんだよ」と声をかけて中に入ると、机に原稿用紙が置いてありました。でも、俊太郎さんが詩を書いている姿は見たことがありません。
俊太郎さんはたまに「うつ病だから寝てる」「うつ病だから静かにしていて」などと言って、日中から寝室で寝ていることもありました。今思えば、仕事が大変だったりスランプのような時もあったりしたのでしょうね。