毎年、夏休み前の終業式の日に、俊太郎さんの運転で北軽井沢の山荘に行くのが、わが家の慣例。始業日の前日に東京に帰ってきます。
父は軽井沢でも仕事をしていましたが、鬼押出し園に行ったり、ピンポンやバドミントンをしたり、楽焼を一緒につくるなど、よく遊んでくれました。経済的にも余裕があったようで、3歳の時にハワイに、6年生の時にヨーロッパに連れていってもらったりも。
ちなみに父のことを「俊太郎さん」と呼ぶようになったのは、小学校6年の時。なぜだかは覚えていないのですが、「これからはお父さんのことを俊太郎さん、お母さんのことを知子さんって呼んでもいい?」と聞いたら、「いいよ」と言われて。
「パパ、ママという呼び方はダメ」と母から言われていたので、それまでは「お父さん、お母さん」でした。母は戦争でアメリカに負けたという意識が強かったようで、ガムを噛んでもダメだし、アメリカふうの習慣はダメ、という人でしたので。
呼び方を変えたことで親との距離感が変わったというか、自立への第一歩を踏み出したのだと思います。
私の小学校時代の成績表を見ると、先生のコメント欄に「おませです」と書いてあったので、大人びていたんでしょうね。家に遊びに来るのは、作曲家の武満徹さんや湯浅譲二さんなどハイカラな方が多くて。今も娘さんたちとおつきあいがあります。

