父が21歳の時に出した第一詩集『二十億光年の孤独』があります。そこに収録されている「ネロ―愛された小さな犬に」という、18歳の時に書いた詩も好き。私は猫を飼っていますが、犬も大好きですし、この詩を読んでいると生き物に対する愛情が伝わってきます。
俊太郎さんがいなくなり、さびしいと感じますが、一方でいつも一緒にいるという感覚もあって。肉体はなくても、魂が近くにいる気がするんです。2012年に亡くなった母も時々、鷺の姿で現れるし(笑)。ハドソン川の北のほうを訪れると、鷺が私のほうに飛んでくるので、「知子さん、こんにちは」なんて言ってみたりしています。
父が戻ってきてくれたらいいなぁと思うこともありますが、それは若くて、バリバリ仕事をしている60年代頃の姿であって、子どものわがままですよね(笑)。晩年の父は、本当に疲れているようで、かわいそうでした。自分でも「死を待っている」と言ったりしていましたし。
あれは亡くなる3ヵ月くらい前のこと。電話で「元気?」と聞いたら、「死にかけているよ」なんて言うんです。ユーモアのある口調でしたが、思わず「そんなこと言わないで」と返してしまいました。
でも、今思うと俊太郎さんらしいと言いますか、嘘がなく、ちょっと面白く死を迎えたいという気持ちもあったのでしょう。最期まで老いと死を見つめ、自身の言葉と向き合っていたのだと思います。
これまで父がつくった詩や作品を、たくさんの方が知っていて愛してくださっているのは不思議な感じでした。これからも俊太郎さんの言葉が読み継がれていくのは、とてもうれしいことだと思っています。

