病院では、ある程度制限はあるにしろ自分の好きなものを身の周りに置き、ストレスになるものは目に入らないようにする。そうして自分の砦のようなものを築かないと、治るものも治らないと痛感しました。

検査の結果、私の心臓には40年ぶり2度目の開胸手術が必要だとわかり、近隣の大学病院へ転院。術後、執刀医からは「7歳の時の手術で少し不具合があったところも治しておきましたよ」と明るく告げられ、スパルタ気味のリハビリも何とかこなし、私は順調に快復していきました。

しかし仲良くなった70代の女性が、「退院したら家事をしなきゃいけないのよね」とつぶやいた言葉に、私はドキッとしたのです。確かに病院にいれば先生や看護師さんがいつもいて、リハビリもでき、快適な環境で美味しいご飯を食べられる。不安になった私は「お願いだからもう少しいさせてください」と退院を延ばしてもらいました。

その間に何とか気持ちを前向きに切り替え、退院時の家族の迎えも拒否。入院する時は息も絶え絶えだった私が、心臓の手術を終え、曲がりなりにも自分の足で歩き、荷物を担いで家まで帰ろうとしている。それが退院後の生活を支える自信になると思ったのです。

大丈夫、私はできる。病院を出た時、外は少し寒かったけれど、気分はめちゃくちゃ爽快でした。

後編につづく

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