和子さんに比較的、一人芝居が多かったのは、淡々としたその人付き合いにも似て、面倒なことが少ないからだったと思う。

平成4年に初演された『MITSUKO-ミツコ 世紀末の伯爵夫人』はよかった。クーデンホーフ伯爵夫人・光子の生涯を語り演じる一人芝居で、それが光子の孫のヤコブ氏を通じてウィーンのシェーンブルン宮殿の一室でも上演できたのだから、和子さん一世一代の栄光の時だったと思う。

この芝居は10年ほどの間に各地で何回か上演されたのでそのたびに観ているが、これが和子さんの当たり役だと思っている。

「兄もね、最後の入院の時、文春か新潮の週刊誌に『ミツコ』が好意的に取り上げられたのを読んで、『和子は一人芝居をやっていけばいいんだよね』って。亡くなったあとで河野多惠子さんから伺って、兄も少しほっとしたのかなと思う」

和子さんは平成20年、『アプサンス~ある不在~』を最後に舞台からの引退を表明している。でも翌年、韓国で再演があり、「女優は嘘つきよね」と言って参加したので、私はそこへも追っかけをした。

後編につづく

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