些細な幸せを感じられるように

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思えば、ちゃんと食事をする日々は久々だった。

転校して場面緘黙症(ばめんかん もくしょう)が悪化した小五からは家での朝食と給食が喉を通らず、満足に食べられなかったのでいつもお腹を空かせていたし、症状がほぼ出なくなった大学以降は前述の通り朝食がおざなりになっていたので、三食きちんと食べる生活は実に約十六年ぶりだったのだ。

最初から最後まで何の違和感も不快感も不調もなく食事ができることは、幸せなことだと思う。

食事だけでなく、日常のふとした瞬間に幸せを感じるようにもなった。

部屋の窓から差し込んだ朝日が畳に当たり、白い壁に小さな虹ができている時。近所の本屋で本を買って、スーパーに寄って帰る時。

八百屋でフルーツを買って、少しずつ食べる時。通りかかった民家の庭の紫陽花が咲いている時。自転車で映画を観に行った帰りの夕焼けが綺麗だった時。

それ以前は何に幸せを感じていたかといえば、可愛い服を買った時とか、美味しいものを食べた時とか、好きな人に好きだと言ってもらえた時とか、お金か他人が必要なことばかりだったように思う。