難産だったピル
<ピルは、女性ホルモンを含む経口避妊薬。1錠あたりに含まれるエストロゲン(卵胞ホルモン)の量により、低用量・中用量・高用量に分類される>
日本はピル承認までに米国に遅れること40年もの時間がかかりました。エイズの感染拡大が懸念された時期にはピル解禁が性の乱れを助長すると言われたり、ピルが環境に影響を及ぼす「環境ホルモン」と言われたり…。承認が何度も見送られたため、製薬企業が準備していたピルを何度も太平洋に捨てることになったという噂が流れたほどです。ピルほど難産だった薬はない。承認までの道のりを日本家族計画協会のサイトで連載していたのですが、100回ほど続いたのでまとめて本にしたいと思ったのです。
<北村医師が女性の避妊に関心を持ったきっかけは1980年代にさかのぼる。1978年に自治医大を1期生として卒業し、群馬県庁に在籍して母子保健行政に関わった>
保健所や県庁で母子保健に携わっていた時に、10代の人工妊娠中絶が増えているデータに接したのです。行政では統計データに触れることはできるけれどその背景はわからない。自治医大は卒業後に知事が指定した診療所や行政機関などで9年間働くことが義務づけられていますが、ちょうど義務年限が終わった1年後、日本家族計画協会から誘いがあったんです。1988年から協会の東京・市ヶ谷にあるクリニックに勤務するようになりました。
<臨床現場で出会ったのは意図しない妊娠から中絶を選択する若い女性たちだった>
中学生で中絶をする子もいました。悲しいけれど中絶することはあるし、産めばいいという問題でもない。当時、避妊方法はコンドームを使用するか腟外射精など男性任せの避妊法が中心でした。妊娠は女性の体にしか起こらないのに、なぜ男性任せの避妊方法に依存しているのかとても疑問でした。