筆者の関容子さん(右)と

これだけ俳優として大成なさっても、山梨では農業も続けていらして。土との関係を絶たないところがすごいですね。

――自分も生き物の一人、と思うことが重要なんです。生き物に対して僕が捧げる目線、声を掛けること。われわれも死ねば「物」になる。するとバクテリアなんかが応援してくれて、分子化していく。そうすると僕たちは物として生き続けていける。

少なくとも人間の魂というのは、その人と共に過ごしたことのある人たちによって、地球上のある空間を絶対的に占めていけるわけですよね。これ素敵だな、なんて思うことが土との関係で生まれてきますから。

 

日本舞踊がこれから泯さんの踊りにどう昇華されて、どんな変化を生むかというのがとても楽しみ。〈名づけられる踊り〉が生まれるかもしれませんね。

――ええ、僕も変わっていくと思いますよ。それが伝統の証しだと思います。伝統は保存すれば抜け殻になってしまいますからね。変わっていかなくては。

 

泯さんの今後の進化からも目が離せません。

 

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