趣味を語るほど悪趣味な行為はない
そもそも、「語れるレベルの趣味」とは何だろう。
趣味とは、個人が楽しみや関心を持って行う活動や嗜好。「語れる」という物言いは、裏を返せば、「語るには資格が要る」と言っているようなものだ。極めなければ語れないのなら、もうそれは趣味の範疇を超えている。
身も蓋もないことを言えば、そもそも趣味を語る行為ほど、悪趣味な振る舞いはないと思う。
これまで、コチラが興味のない場合でも、延々と熱を持って喋る「趣味人」と幾度も対峙してきたが、相手が気持ちよくなるような相槌を打ちながら傾聴するのは、それはそれで根気とテクニックが必要。
「ハイ!」「よいしょ!」
「ハイ!」「よいしょ!」
と高速餅つきパフォーマンスの、ひっくり返し役に突如抜擢されるようなもので、息が合うはずもない。いつ、手の甲が砕けても不思議はないのだ。
「語れるほどの……」などと意味不明の謙遜を口にするより、そもそも語るのを控えてはどうだろう。同じ趣味を持つ同士ならまだしも、全く関心のない趣味を「語れるレベル」の熱量で聞かされる苦痛を想像してほしいものだ。
筆者には、趣味はない。
そこそこ苦じゃなく続けられること、程度の意味が趣味だとしたら、
「生きること、それ自体」
が筆者の趣味かもしれない。
※本稿は、『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』(大和書房)の一部を再編集したものです。
『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』(著:山田ルイ53世/大和書房)
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