「この小板橋というのは今もあるんですか?」
「残念ながらもうないんですよ。大体の場所はわかるんですが、すっかり竹藪で橋の痕跡もありません。……あともとどめず、です」
 うばらはイバラ、野イバラの古名だ。棘だらけの蔓が伸びる日本のバラの原種。ふっと脳裏に浮かんだ。ゆらめく橋の前に佇み、イバラの蔓に縛られ、棘に突き刺されて血を流す女の姿だ。
 ゆらめいているのは橋なのか。それとも彼女自身か。彼女は橋の上から水面に一体なにを見たのだろうか。
 私たちは小板橋の跡地に向かった。霧が長い乾いた指で竹藪の中を指し示す。のぞき込むとひっそりと白い表示杭が立っていた。
「これだけですか」
「ええ。残念ですが」
 石川の堤防沿いを歩き、金剛大橋までやってきた。橋の中ほどまで歩いて足を止める。北東の方向を眺めると綺麗に二上山が見えた。山上には、謀反の疑いを掛けられて二十四歳で自害に追い込まれた大津皇子の墓がある。
 二上山の麓には奈良と大阪を繋ぐ日本最古の官道、竹内(たけのうち)街道が通っていて、ヤマトタケルの陵墓とされる白鳥陵へと続いている。古代の人も見た眺めかと思うと、微かな陶酔を感じた。
 そのとき、空に白い大きな鳥が見えた。

 白鳥は哀しからずや――。

 一瞬、あの歌が浮かんで私は思わず欄干から身を乗り出して指さした。
「あそこに鳥が。まさか白鳥?」
「いや、さすがに白鳥は飛来しませんよ。あれは鷺(さぎ)ですよ。河原でよく見かけます」
 霧が笑った。
「ああ、鷺ですか。そりゃそうですよね」
 勝手にはしゃいで恥ずかしい。私はハンカチを取り出し、汗を拭って誤魔化した。すると、霧が気を利かしてくれた。
「ずいぶん歩いて疲れましたね。どこかで涼みましょう」