教師になりたくて家出同然に上京

広瀬梅は1868(明治元)年に、美作国の津山藩(現在の岡山県津山市勝部)の庄屋の家に生まれました。勉強が好きで教師になりたいと思うようになりますが、父は当時としては一般的な「女に学問はいらない」という考えの持ち主で、反対します。


梅は頼み込んで地元の学校に進学しますが、いつ辞めさせられるかわからないという不安から、上京して東京の女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)へ入学しようと考えます。女子にとっての最高学府で学びたいという向学心もあったでしょう。

梅は髪を切って覚悟を決め、姉に旅費と当面の生活費を工面してもらうと、家を出ます。当時はまだ岡山に鉄道が敷かれておらず、船で移動したため、東京に着くまで四日間もかかりました。

桜井女学校附属看護婦養成所修了式。前列右が広瀬梅。(医療法人知命堂病院提供)

看護婦として人を救いたい

上京後は女子高等師範学校に入るべく受験勉強に励みますが、梅の窮乏は、はた目にも明らかでした。あるクリスチャンが、「女子高等師範に入るよりも良き学校を紹介してやる」(『女性学院五十年史』)と言って会わせてくれたのが、桜井女学校の校長、矢嶋楫子でした。

楫子は、梅を学費のかからない給費生として受け入れます。勉学を志して家出同然に上京してきた気概を評価したのでしょう。楫子にも苦学した過去がありました。

ミッションスクールである桜井女学校で聖書と出合った梅は、その教えにとても感動し、クリスチャンとなります。教師に限らず、人の役に立つ仕事に就きたいと考えるようになった梅は、附属の看護学校が設立されると、看護婦として人を救いたいと入学を決めます。このとき18歳でした。ちなみに、一ノ瀬りんのモチーフ「大関和」と大家直美のモチーフ「鈴木雅」は、看護学校入学当時28歳でした。ドラマ同様、年齢も出身地も経歴もさまざまな学生たちが集ったのです。