被災地で親を亡くした赤ん坊を引き取る

梅は、和や雅らとともに、ドラマのバーンズ先生のモチーフとなった「アグネス・ヴェッチ」から、ナイチンゲール方式の看護学を学び、病院実習を経て1888(明治21)年に看護学校を卒業します。その後は、矢嶋楫子が会長を務める東京キリスト教婦人矯風会の仕事を手伝ったり、英語教師として教壇に立ったりしながら、今でいう「災害支援ナース」のような活躍を見せます。

1896(明治29)年に三陸地方を大津波が襲った際は、岩手県の盛岡の避難所に駆けつけ、看護婦として救護活動に加わります。この津波は、のちに「明治三陸大津波」と呼ばれる大災害で、死者約2万2千人、流出および全半壊家屋1万戸以上という甚大な被害をもたらしました。避難所には親を亡くした子も大勢いましたが、それでも誰かしらに引き取られていくなか、一人の赤ん坊が残されました。

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(著:田中ひかる/中央公論新社)書影
『明治のナイチンゲール 大関和物語』(著:田中ひかる/中央公論新社)

見過ごすことができなかった梅は、赤ん坊を引き取り、当時暮らしていた東京の寮へと帰ります。津波によって交通が寸断されていたため、途中、100キロ以上も歩かなければなりませんでした。赤ん坊を抱いての長距離の移動は、どれほどたいへんだったでしょう。

梅は、『旧約聖書』に登場するルツという女性にちなんで、赤ん坊に「ルツ子」と名付けます。ルツ子が夜泣きをすると、ほかの寮生たちに迷惑がかからないように、背負って何時間も外で過ごしました。

しばらくして、教会で知り合った理髪店を営む夫婦から、ルツ子を養女にしたいという申し出があり、梅はルツ子を託します。真面目な夫婦を見て、自分が育てるよりも、ルツ子が幸せになれると考えたのではないでしょうか。