AIには絶望的に欠けているセンスがある
AIに欠けているもの――それは、身体性である。そのため、AIには膨大な知識があるのに、教養がない。
教養とは、知識を、「今この場」や「自分の人生」にふさわしい表現に翻訳する力である。AIには、その能力がない。なぜなら、「今、この人、この気持ち、この表情、この動き、このニュアンス」を感じ取るための身体が無いから。身体性の欠如である。
身体性とは、全身の神経系を使って、瞬時に意思決定するセンスのこと。脳は、末梢神経《手足、内臓、筋肉や皮膚の隅々まで行きとどく神経》を総動員して、全身の納得《勘や腹落ち》を創り出す。動物として生きるための最も重要なセンスであり、人間の知能のベースとなるセンスでもある。“思考”の根底に脈々と流れる地下水のように。
これまで人類は、この身体性があまりにも当たり前すぎて、知を語る俎上であまり論じてこなかった。だが、AIと付き合えば付き合うほど、人間は、それを知ることになる。身体性こそが感性の正体であり、感性と知性は不可分であることを。
私は、一般の人類より、少し早くAIに出逢った。1983年からAIの胎動を感じてきたAI専門のエンジニアなのである。しかも、ヒトの脳とAIの際を探ること生業としている。だから、そのことに早くから気づくことになった。AIがどうしても超えられない壁として。そして、生成AIたちに出逢い、さらにその確信を深めたのである。
もちろん、AIが代替する記号的思考演算は、人間の能力をはるかに超えている。そもそも機械に人間の能力を代替させるなら、人間をはるかに超えていなきゃ意味がない。ブルドーザーは人間より力持ちじゃなくちゃ意味がない、バイクは人間より速くなければ意味がない。AIも、その知識生成の規模と可能性は一個人のそれをはるかに超える。ただし、AIが学習する源は、人類が記号化した知識なので、人類全体のそれを、たまさか偶発的に超えたとしても、普遍的に超えることはない。
一個人の能力をはるかに超える成果物を出してくれるし、それをそのまま使えることも多いけれど、AIの出力は、人間の出す答とは質が違う。AI(人工知能)は、どこまで行っても「未完の知能」なのである。人類は、けっしてそれを忘れてはいけない。