秀吉は山崎合戦に「遅参」した…?

秀吉は「上様(信長)と殿様(信長の子・信忠)は死んではいない」との情報を中川清秀に5日の時点で伝えていました。

信長の死に慌てる摂津衆の動揺を抑えて、光秀ではなく、自分(秀吉)に加勢させようとしたのです。
 

『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(著:濱田浩一郎/内外出版社)

さてそしてついに6月13日には、光秀方と秀吉方による山崎(京都府乙訓郡大山崎町)の戦いが始まります。

秀吉方は光秀軍を破り、戦いに勝利することになるのですが、最近、秀吉はこの山崎合戦に間に合わなかったとする新説が提示され、報道がなされています(平賀拓史「天下分け目の天王山、実は秀吉が「遅参」していた? 山崎合戦で新説」『朝日新聞』2026・3・13)。