怒りも嫉妬も、抱えたまま死んではいけない

いろいろなものを抱えたまま、父は死んでいったように思います。

父が成功したときに、僕を探し出して会ってくれたらよかったのになあと、いまでも思います。

(写真提供:Photo AC)

父には新しい家族がいました。父も僕と同じように、一度身辺整理をしたらよかったのではないかと思います。

自分が捨てた息子が、どんな人のお世話になって生き抜いたのかを知ったらよかったのに、と。

彼には彼の生活があり、それに僕は影響を与えようとは思っていませんでした。

僕はもう、40代のころから、父のことを許していました。

鎌田岩次郎という人にもらわれて、鎌田家に引き取られた僕は、自分の名前を「鎌田実」と書いていました。果実の「実」です。

小学校のころから、40代まで、そう書いていました。

40代になってから、本当の父が「實」という名前をつけてくれていたことを知り、感謝しました。

それ以降、僕は「鎌田實」と書くようになりました。難しいほうの「實」です。

「鎌田実」から「鎌田實」に変わっていくとき、僕の心の中では、身辺整理が行われていたのだと思います。

1歳8か月のとき、なぜ僕を手放さなければならなかったのか。

父は、どんなふうに事業を成功させ、人生を成功させたのか。

本当は、父から直接、話を聞きたかった。

身辺整理を提言すると、みんな「あの世に、お金は持っていけないことはわかっている」と言います。

でも、怒りや嫉妬をあの世に持っていくのは、結構つらいものです。

洋服や靴の身辺整理をしながら、モノを減らす技術を磨くだけでなく、何回かの身辺整理を通して、心の重りを解き放つ技術も身につけたいものです。