「捨てる」ではなく「選ぶ」に
この方法が良かったのは、服を「捨てる」というネガティブな行為が、服を「選ぶ」というポジティブな行為に変わった点だ。一度は気に入って買った服も、加齢などの自分の変化や社会の変化により似合わなくなることがある。なので、気に入って買った服の中からさらに本当に気に入った服を選びなおすのは、新しく服を買うのと何ら変わらない、前向きな行為なのだ。
処分する「その先」も重要である。あまり着ていないもの、高かったもの、つまりはまだ十分着られそうなものは、綺麗に洗濯して、きちんと畳んで、近所のパン屋さんの「ご自由にお持ちください」と書かれたフリーボックス行きとすることにした。
これも非常に良い方法だったと思う。気の毒な「落第生」が人様には案外喜ばれ、誰かにもらわれていくのを見るのはとても嬉しいことだった。そうなのだ私にはイマイチな服も、服には何の罪もない。ただ「今の私には合わない」だけなのだ。他の誰かならピッタリ合うかもしれない。新しい持ち主の元でたくさん着てもらえるかもしれない。そうなれば服もきっと嬉しいに違いない。
考えてみれば、滅多に着ない服を「高かった」とか「いつか着るかも」とかいってクローゼットの奥で所有し続けるって、まるで昔の殿様が、どこぞの可愛い娘に一目惚れして大奥に連れてきたものの、次々来る新人に心奪われて存在すら忘れ、ほったらかしにしてるようなものだったんじゃ? 娘の悲しみ、嘆き、いかばかりか。その悲しみが殿様に大きな災いをもたらしたとてまったくおかしくない。なるほどそう考えると、わが人生がなんだかんだ言って悩みや苦労にまみれていたのも、多すぎる可愛い娘(服)たちをなんだかんだ言ってほったらかしにしてきたせいだったんじゃないだろうか?
