※本記事は、『新編 「終戦日記」を読む』(野坂昭如・著 中公文庫)所収「プレイボーイの子守唄」の抄録である
ぼくは贖罪の心で麻央に対している
長女麻央は数えで四歳、満でいえば二年七ヵ月、モンキーダンスにチョコレート、塩昆布のお茶漬を好む。
ぼくは、いささか度を過ごした親馬鹿である。麻央が母親にしかられると、いても立ってもいられなくなってしまう。たとえ仕事中であっても、いかにも悲しそうに涙を流している彼女を抱き上げ、書斎へともなって、その笑顔のもどるまで、さまざまにご機嫌をとる。
だから麻央は、母親にしかられる、あるいはその予感に脅える時、朝でも夜中でも、あわてふためいてぼくの許へ逃げこんでくる。
母親がいくらきびしくしつけても、ぼくがこういう調子では、効果はない。とわかっていても、ぼくは、麻央がさらに成長したならともかく、今は絶対にしかれないのだ。
と、同時に、ゴーフル、クッキー、チョコレートのたぐいを、ただもう気まぐれに、あたらしいものから封を切り、ちょいと口にしては、ほっぽり投げる麻央をみていると、怒りとも悲しみともつかぬ、ある感情で激し、胸がつまる。
はっきりいってしまうと、ぼくは贖罪の心で麻央に対している、いや、育てているのだ。
「昭ちゃんの妹よ、かわいがってあげてね」
かつてぼくには、二人の妹がいた。
ぼくは生まれるとすぐに、神戸へ養子にやられ、小学校五年になった時、養家先では、もう一人、女の子をもらった。
昭和十六年四月のことで、この妹は名前を紀久子といい、よく肥っていて、体格優良児コンクールに出せばいいと、隣組の人などが無責任にそそのかしたのを覚えている。
角力(すもう)の稽古でおそくなり、夕方、家へかえると、六畳の茶の間にちいさな布団が敷かれ、赤ん坊が寝ていた。養母に「昭ちゃんの妹よ、かわいがってあげてね」といわれた時、その場はフーンと気のない返事をし、養母が台所へ去ると、とたんに赤ん坊の枕許に膝をつき、しみじみと寝顔にながめ入り、こみ上げるようなうれしさに襲われ、それを気づかれるのがいやで、表へとび出し、ニタニタと笑いつづけていた。