岡野弘彦(おかの・ひろひこ)
1924年三重県生まれ。國學院大學教授、文学部長を経て95年から2007年まで國學院大學栃木短期大学学長。1979年から2008年まで宮中歌会始選者、1983年から2007年まで宮内庁御用掛。21年、文化勲章受章。歌集『海のまほろば』『バグダッド燃ゆ』、評伝『折口信夫伝 その思想と学問』ほか著書多数。21年、8000首を収めた『岡野弘彦全歌集』刊行。26年4月24日逝去。享年101(撮影:藤澤靖子)
2026年4月、歌人の岡野弘彦さんが101歳で亡くなった。三重県の代々神主を務める家の生まれで、学生時代から釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫)の短歌結社に参加していた岡野さん。宮中歌会始の選者や宮内庁御用掛を長年務め、天皇、皇后両陛下への和歌のご進講をするなど、皇室との結びつきも強かった。岡野さんが亡くなるまでの暮らしや父親としての素顔について、次男の夏井さんが語る。(構成:篠藤ゆり 撮影:藤澤靖子、本社・武田裕介)

余命1年の宣告から2年半生きた生命力

父が暮らす高齢者施設から連絡があったのは4月24日の午前中。会議中だったので電話をとることはできませんでしたが、すぐに妻からLINEがあり、施設にかけつけると介護スタッフの方が一生懸命AEDで救命措置をしてくださっていて。その後、医師が来て死を告げられました。

施設で暮らし始めたのは6年前。父と母はまさに二人三脚、父が地方に行く際などは、必ず母も一緒でした。

その母が9年前に90歳で亡くなってからは伊豆の一軒家で一人暮らしをしていましたが、週に2回来てくださるお手伝いの方がいない時に、ボヤを出してしまったのです。このまま一人暮らしは無理だと思い、兄と相談して、都内のわが家の近くの施設に入居してもらいました。

最初の1年くらいは、「伊豆に帰る」と何度も言っていましたが、徐々に慣れていって。なにより介護スタッフの皆さんのことを、すごく気に入っていたようです。

体調を崩したのは2年半ほど前。大動脈弁狭窄症と診断され、カテーテル手術を勧められたものの、99歳という年齢を考えると全身麻酔は危険と判断し、手術は見合わせました。その時、医師からは「手術をしないと余命は1年くらい」だと言われましたが、結局それから2年半生きたのですから、父は生命力が強いのだと思います。