片付けを終えてしばらく経ったある日、伯母の写真が入った小箱を実家で見つけた。写真の一部を、私に内緒で母が持ち帰っていたのである。片付け中、母は「モノが捨てられるたび、思い出と一緒にお姉さんがいなくなる気がする」と言っていた。ぐいぐい捨てる私に不満を持っていたのかもしれない。

でも写真を捨てずにいたら、私は目にするたびに泣いていただろう。母には母の、私には私の思いがあるのだ。

次の面会の日、施設の部屋の壁に、母が持ち帰った写真を両面テープで貼った。それを見た伯母は「足を組んだ私、かっこいいじゃない?」と満足そうに微笑んだ。その様子を見て、私が間違えていたのかもしれないと思った。モノを捨てることで、思い出もなかったことにしたかったのかもしれないな、と。

しかし1週間後に面会へ行くと、壁の写真はすべてなくなっていた。施設の人に聞くと「ご自身で剥がして『もう、これいらない』と職員に渡されました」とのこと。「もう一度貼りますか?」と尋ねられたけれど、これが伯母の気持ちなのだろうと思い、持ち帰って母に返した。

過去に執着する気持ちのない伯母と、過去を失いたくない母。そして前に進むために過去を捨てる私。誰も間違いじゃない、とだけ思う。

 


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