(写真提供:Photo AC)
「人生には二つのたのしみがある。一つは食べること。もう一つはおいしいものをこしらえること」――そう語ったのは、半世紀以上にわたって珠玉の小説やエッセイを書き続け、2019年6月に亡くなられた作家・田辺聖子さんです。今回は、食べるのもつくるのも大好きな「おせいさん」が綴った美味しい記憶を収録した『食べるたのしみ』から一部を抜粋し、読めばお腹が空いてくるエッセイをお届けします。

夏の食卓の楽しみ

夏、というと私は祖父の双肌(もろはだ)ぬぎの姿を思い出すのだが、これは戦前の、それも昭和十年代である。

大阪の夏は暑い。 浪花名物の夕凪、夕方、風が全く落ちてネットリした温気が町をつつみ、昼間の炎熱に灼かれた瓦は、そのほてりを屋内によどませる。

下町の商家は天井が低いので、そのむしあつさといったらない。

おまけに家に人数が多いから、よけいに暑く感じられる。

祖父はまっ先に風呂を使い、庭に打ち水をさせ、双肌ぬぎで坐る。その裸の肩には、冷水で濡らしたタオルがかけられる。クーラーなどない時代、黒い扇風機はあるが、祖父はこういうのを好まない。もっぱら冷い濡れタオルである。

「これが一ばんや」と祖父はいっていた。大家内の私のウチでは、食事どきは大きいテーブルにぎっしり坐り、それが何交代もするのであるが、祖父ははじめから終りまでズーッと坐っている。

そうして、肩の濡れ手拭い(祖父や祖母はテノゴイという)は、時折、冷水で絞りなおされる。これは祖父が命じるのである。

あれはいま思うと、夏の晩酌を涼しくする最高の工夫みたいな気がする。