近代化に向けた政策実行
三つ目が、日本の近代化に向けた政策実行である。陸軍の西洋化に努め、フランスからシャノワーヌら陸軍軍事顧問団を招いたほか、箱館の五稜郭(北海道函館市)を建設した武田斐三郎(たけだあやさぶろう)を江戸に呼び戻して滝野川(東京都北区)に反射炉などを造らせた。さらに、小栗は横須賀製鉄所を創設した。横須賀製鉄所の技術は富岡製糸場(群馬県富岡市)に移植されることとなる。横須賀製鉄所は我々の日常生活の原点となっているものが多々ある。
例えば、課長や係長といった会社の役職や、チャイムによる労働時間の管理、経理帳簿の管理、メートル法の導入などである。日本初の西洋式ホテル「築地ホテル館」(東京都中央区)を開業させたほか、日本初の株式会社「兵庫商社」を設立し、ガス灯や新聞の導入など近代化に向けた様々なアイディアを持っていた。
小栗の死後、小栗家再興に努めた大隈重信は、新政府が行おうとした近代化政策のほとんどは「小栗の模倣」にすぎないと評した。大きな三つの柱を見てわかるように、小栗は日本の近代化の土台を築いた。小説家司馬遼太郎(「遼」は正しくは二点しんにょう)が小栗を「明治の父」と評した所以である。
小栗の生涯を振り返ることによって、日本の近代化の原点が見出せる。
※本稿は、『小栗上野介-「逆賊」とされた開明派幕臣』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『小栗上野介-「逆賊」とされた開明派幕臣』(著:塚越俊志/中央公論新社)
江戸幕府の末期を中枢で支えた幕臣、小栗上野介忠順。
幕府の命運に殉じた四二年の生涯。




