発想の原点
すなわち、蒸気機関を動力とした総合工場であった。特に吃水所は、船がドックゲートに無事入ったら、ゲートを再び閉めて、ポンプで排水をするため、乾ドック(船体の修理や点検のために水を抜くことができる施設)の命ともいうべき施設であり、日本はこの海軍造船所に未来の姿を見たといってよい。
従者の佐藤藤七は「メールスアイランは船の制作処(ネビヤ―ルド)なり「ポーハタン」船正月十七日の大風に損し「サンドウヰス」に未だ(修船所が――引用者注)成就せざるに因(より)て「メールアイラン」に行て繕補し、且石炭を貯んと遶(めぐ)り回りて河を上る」(「渡海日記」)と記し、造船所の設計図も付けている。
同じく従者の福島恵三郎も、メア・アイランドが船を修復するところであると認識している(「花旗航海日誌」)。
後年、横須賀製鉄所が「造船所」でなく「製鉄所」と名付けられたのは、まさに何でも造る蒸気機関を動力源とした総合工場で船の修理ができるという、佐藤がメア・アイランド海軍造船所で見た風景を再現したものだからであった。小栗も当然この風景を見ており、ここに発想の原点があったといってよかろう。
