使節一行は
5月25日、副使村垣範正はワシントン海軍造船所を訪れ、「蒸気仕掛にて種々の細工をするさま目を驚かしたる奇工筆にも言葉にも尽しがたし」(「遣米使日記」)と、巨大な錨(いかり)や艦船の部品製造を一手に引き受ける西洋技術の高さと大規模工場のシステムを目の当たりにし、驚いた様子がうかがえる。
使節一行は、ワシントン海軍造船所で実際に工場見物を行い、蒸気機関を動力とした機械に驚きを隠せなかった。特に小栗は「アメリカの産業の発展を日本のために大いに導入したい考えである」(『ニューヨークタイムズ』1860年6月22日付)と評されているように、「製鉄」の重要性を認知したのがこの万延遣米使節団であったといえる(宮永孝『万延元年の遣米使節団』)。
5月26日、佐藤秀長は、正使新見正興(しんみまさおき)の従者玉虫左太夫と柳川兼三郎、副使村垣範正の従者野々村市之進、目付小栗忠順の従者福島恵三郎と木村鉄太、賄方加藤素毛らとともにスミソニアン協会を訪れている(伊東俊祐ほか作成「史料翻訳『THE NEW YORK HERALD』1860年版」)。
6月5日、再びブキャナン大統領に謁見し、その後、国務長官カスから小栗ら三使に金メダル、随員に銀メダル、江幡祐蔵ら従者には銅メダルが贈られた。
※本稿は、『小栗上野介-「逆賊」とされた開明派幕臣』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『小栗上野介-「逆賊」とされた開明派幕臣』(著:塚越俊志/中央公論新社)
江戸幕府の末期を中枢で支えた幕臣、小栗上野介忠順。
幕府の命運に殉じた四二年の生涯。




