「自分がいたら」と悔やんだ父

一夜にして約10万人が亡くなったといわれる東京大空襲のことを、父は知りたがっていた。父が戦地に赴いている間、父の両親と妹がこの空襲で犠牲になったからだ。父は東京大空襲の体験が書かれた書籍も購入していた。

父の両親と妹は、昭和20年2月の空襲で東京都墨田区の自宅が燃えてしまい、東京大空襲があった同年3月10日は、両親は江東区の知人の家に、妹は勤労奉仕の場所に近い江東区の友人の家にいた。

3人とも逃げたことはわかっているが、どこで死んだかは不明である。当時、私の父は兵士として中国にいた。

父の妹は、米軍の爆撃機B29が落とす焼夷弾による火災の中を友人と逃げた。妹は途中で、「私は大丈夫だから、先に行って」と言い、それが友人の聞いた最後の言葉だった。

父の父親は、大正12年9月1日の関東大震災の時に大けがをして、左足を失っていた。東京大空襲の時、父は自分がいたら、父親を背負い、母親と共に炎の中を逃げられたと思っていたようだ。