母の耳から離れない女性の叫び
私の母は、東京大空襲の時は江東区に住み、高等女学校の卒業式を3月25日に迎えるところだった。同じ空襲で亡くなった父の妹は、母と同じ年齢だったそうである。
母は、自分の父親(私の祖父)と中学生の弟と3人で逃げたが、父親とはぐれてしまった。
母は炎の中で弟と耐えていたが、重度のやけどを負った。母の母親(私の祖母)と妹と2人の弟は、新潟の親戚の家に疎開していて無事だった。
戦後、父と結婚した母は、両親と妹を亡くした父を慰めるつもりで、東京大空襲で生き残った近所の奥さんの話をしていた。
「炎がひどくて家族で川岸に降り、旦那さんが川の水を奥さんと子供2人にかけ続けたので助かった。でも、旦那さんは力つきて倒れて、川に流されて行ったそうよ。家族を守ろうとしても、無理なのよ」と。
母は、統合失調症の息子(私の兄)だけでなく、私が結婚していないこと、そして孫がいないことについて、不満を言うことが一切なかった。
私は40代の時に母に、「孫がいなくてごめんね」と言ったことがある。すると母は、私が思いもしなかったことを言い出した。
「親と子がお互いを大切に思っていても、空襲で炎の中を逃げる時は、母親は苦しくて握っていた幼い子供の手を離し、子供も怖くて母親の手を離してしまう。咳き込みながら必死に子供の名前を呼ぶ母親の声と、子供が母親を呼ぶ声が、今でも耳に残っている」と。
そして「私が14歳から17歳まで、日本はずっと戦争をしていた。幸せな家族が、戦争に巻き込まれて悲惨なことになるのを見ているから、私は多くを望まない。日本が絶対に戦争をしないで平和を守れるなら、孫がいたら楽しいだろうけど……」と話していた。
