サバラさんは何度も危険な目にあっている。24年1月、イスラエル軍が彼女のいたガザ南部の難民キャンプに侵攻し、サバラさんと家族はテント生活をすることになった。初めてのテント暮らしだ。
その後、サバラさんの父親はガザ南部のラファに家を確保し、攻撃と破壊が終わるのを待った。しかし攻撃は終わらず、イスラエル軍はサバラさんがいるラファにも侵攻してきた。
5月、イスラエル軍はサバラさん一家のいる家を爆撃し、家族は瓦礫の下敷きになった。「死の淵から、炎の中から、完全なショック状態で、自分がどこにいるのかもわからないまま、生還した夜でした」とサバラさんは日記に書いている。彼女はショックと恐怖で、その後も爆撃があるたびにフラッシュバックに苦しめられるという。
11月、サバラさんたちは冬の寒さに備えるために、テントから自宅に戻ることにした。しかし家は半壊状態。壁には銃弾の穴があき、床には兵士が残した汚物が溢れていた。
25年6月、サバラさんの住むエリアが「危険戦闘地域」に指定され、再び避難しなくてはならないと告げられたという。もう帰れないかと思うと部屋のものを全部持っていきたかったが、人生を一つのバッグに詰め込むことは無理だった。サバラさんは家族とともに家を出た。
「家を出ることは、単に場所から場所へ移動するということではありません。慣れ親しんだすべてを根こそぎにされ、記憶が粉々に砕かれ、魂を追放されることなのです。これは戦争によって死ぬのとは異なる死の形です」
サバラさんと家族はテント生活に適応しようと、トイレを作ることにした。テントの横にたった一人が入れるだけのスペースを確保し、防水シートの切れ端と古布を張った。排水溝として間に合わせの穴を掘った。
「以前のテント生活では何時間もトイレに行けないことがありました。我慢しすぎて体が痛くなっても、恥ずかしい思いをするよりはと耐えました。過密状態、プライバシーの欠如、不衛生な環境。これらは人間の尊厳をゆっくり蝕んでいきます」