私は救われた。神様ありがとう
個室に入った瞬間、私は、比喩ではなくて本当に両手を広げて喜びを表現した。それがどのような様子だったかというと、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の冒頭シーンで、修道女見習いのマリアが、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら草原を歩き、オーストリアの大自然をその胸に抱くように両手を広げながら歌う、♪The hills are alive! With the sound of music! ♪ という有名なシーンそのものだった。
その個室は、マリアがその胸に抱いた雄大な山脈とはほど遠いものだったが、その時の私にとっては、何ものにも代えがたい、大切な空間だった。窓には落ちついた街並みがうつり、病棟の近くに建つ寺の屋根瓦がきらきらと光り、美しかった。窓に近づき遠くを眺めると、青い琵琶湖が見えた。窓際に設置された2人掛けのソファに座り、広めのテーブルに荷物を置き、改めて個室を見回してみた。
壁紙は落ちついたシックな青。床はきれいなアイボリー色のリノリウムで、私がなにより怖れている、誰がつけたのかわからない、正体不明なシミのような汚れはひとつもついていなかった。ベッド横のテレビ台は、大部屋のものよりもずっと大きくて、色合いも明るく、なにより新しかった。備え付けのテレビも大型の液晶で、角度は自由に変えることが出来た。新しいリモコンには汚れもない。完璧である。私は救われた。神様ありがとう。