実を言うと、僕は一九八三年にプリンストン大学のファイアストーン図書館を訪れて、スコット・フィッツジェラルドの生原稿を見せてもらったことがある。当時はそれほど警戒も厳しくなくて(グリシャム自身が著者覚え書きで述べているように、本書に描かれているセキュリティーの内容はすべてフィクションであるわけだが)、わりに簡単に生原稿を「ほら」と見せてもらったことを記憶している。柔らかい鉛筆で書かれたくねくねとした字で、ひどく読みづらかった。これを清書させられたタイピストはずいぶん苦労したことだろう。

魅力的な書店主、ブルース・ケーブル

本書の魅力のひとつは、物語の軸になる登場人物、ブルース・ケーブルが全米でも有数の独立系書店のオーナーであり、また同時に希覯本の蒐集家(専門は現代アメリカ文学)でもあるというところにある。おかげでアメリカにおける書店経営のあれこれや、希覯本取引の実態が詳しく紹介され、このへんの展開は本好きにとってはたまらないだろう。僕も本筋のミステリーとはべつに、そのあたりの描写についつい引き込まれて読みふけってしまった。

主人公(そして探偵役)はいちおううら若き女性作家、マーサー・マンだが、実質的な主人公はこの魅力的な書店主、ブルース・ケーブルである。ハンサムで、やり手で、知的で、業界における有名人、スマートなプレイボーイ、そしてなにより無類の本好き。マーサーの視点によって、このミステリアスな人物の素顔が次第に明らかになっていく。ちょうどニック・キャラウェイの視点によってジェイ・ギャツビーの謎が解明されていくみたいに。このへんのストーリー・テリングの巧みさは、さすがにグリシャムと感心してしまう。すらすらと流れる無駄のない文章だ。