いつだったかドラマの演出家の男性に言われたことがある。「有名な旦那さんがいて、お子さんも育てて、女優もやって、すべて手に入れてますね、完璧じゃないですか」

びっくりした。私ってそう見えるんだ。外から見えるものを数えたら、確かにそうかもしれないな。でもね。私にも事情がある。やりたいことができなくて眠れないほど悔しいことも、逆立ちしたって手に入らない憧れも、自分の不甲斐なさにのたうちまわる夜更けもある。そう反論するのはわがままだろうか。

家族が五体満足で、一緒にご飯を食べられるだけでなんとありがたいことよ、と思う日だってもちろんある。満たされていると認めたい自分と、もっともっと、という強欲な自分との間で、いつも揺れている。いつかストンと、煩悩が抜ける日が来るのだろうか。このまま欲張りな老婆になるのだろうか。

「焼き鳥屋さんのあとカラオケも付けていい?」「いいよ、もち」「もち」「あ、ハッピーアイスクリーム」「え、なにそれ」「同時に同じ事言ったから。アイスおごりだよ」「初めて聞いた」「私も知らない」「ちょっと待って、世代違わないでしょ」「地域差なのかしら、神奈川県民には常識だよ」「埼玉県民も知ってる」「あたくし世田谷だけど知らないわよ」「ドキッ」「ああなにこの会話、くだらな過ぎる」「くだらないよ~誰が始めたの~」

そろそろ日付が変わる。誰かが言った。「もしかしたらさ、自殺したいって虚空につぶやく人って、こういうくだらない会話する相手がいないんじゃないかな。私、あなたたちがいてくれて幸せ」「本当だね」「本当だ」「あ、ハッピーアイスクリーム」

鈴木保奈美さんの連載「獅子座、A型、丙午。」一覧

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