「お父さんやね。間違いなく」

訪れる人もなく静かになった3日目の午後、突然、目覚まし時計のベルがけたたましく鳴り響いた。どこにあるのか探すが見つからず、仏壇脇の奥でやっと見つけた。なぜそんな場所にあったのかはわからないが、父が愛用していたもので、針は3時10分を指している。

母と顔を見合わせた。父が息を引き取った時間ははっきりしない。自分が亡くなったのはこの時刻だと、父が私たちに教えたのだろうか。でなければ説明がつかない気がした。昨日も一昨日も母とここにいたけれど、目覚まし時計はリンとも鳴らなかったのだから。

片づけを見守るようにバッタはずっとそばにいた。その姿や、止まった目覚まし時計を、私は写真に収めた。父の遺影や仏壇、好んだ場所も撮った。もしかしたら、父が何かメッセージを伝えてくれているかもしれないと思って。

4日目、ずっと仏間にい続けたバッタが裏口の扉に向かってゆっくり歩いて行き、外に出て行った。母と、黙ってその姿を見送る。母を一人残し、日常に戻ることは不安ではあったが、私にも仕事がある。予定通り5日目の午後、車で迎えに来た夫と帰ることにした。

別れを惜しみながら、車の助手席に乗り込もうとした時だ。バッタが飛んできて私の左肘のあたりに止まった。葬儀の次の日からずっと仏間にいた、あのバッタに違いない。捕まえようとすると、素早く車のダッシュボードに飛び移った。まるで、自分も一緒に乗せて行ってくれというように。

「お父さんやね。間違いなく」

私がそう言うと、「そうかもしれんねえ。お父さん、香織ちゃんとこには行かれんのよ。ここにおらんと」と、母がバッタに向かって話しかけた。私が両手でバッタを包むようにして捕まえると、そっと母に手渡した。

それからどうなったかは、聞いていない。もうすぐ、父の三回忌がくる。


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