遠のく意識のなか、母の横で死にたいと

それから数年後の1995年。その日友人と遊んで帰ると、母はまだ戻っていませんでした。いつもは母の帰宅を待たずに寝るのに、なぜか私は母の行きつけの店へ電話をかけたのです。しかし、母はすでに2軒目に行ったとのこと。

店のママは何かあったのではと心配したようで、2軒目の店に連絡し、母に帰るようにと伝えてくれました。私は母が戻ってから、ようやく床に。そして迎えた午前5時46分。ドーン! と突き上げる音と震動。阪神・淡路大震災でした。

重たいテレビが頭の上に落ち、私は気を失ってしまいました。幸い布団を被っていたので、致命傷にはならなかったものの、気がつくと体が動かない。部屋中の物が、私の布団の上にのしかかっていたのです。

隣室の母を呼んでも返答はなく、もう一度呼んでも静寂のまま。お母さん死んだんだ、と思いました。ほどなくして、私の意識は再び遠のいていきます。痛い、苦しい、身動きができない。私はただ、「このまま死ぬなら、母の横で死にたい」、そう思っていました。

次の瞬間、私が佇んでいたのは砂漠のような場所でした。お坊さんの行列が、お経を唱えながらこちらに向かって歩いてくるのです。近づくにつれ、読経の声がどんどん大きくなる。鼓膜が破れそうなほどの般若心経──そして、私の名前を呼ぶ声。

そこで私は目が覚めました。ベランダから、

「娘を、娘を助けてください。動かないんです。お願いします。誰か、娘を助けてください」

と泣いている母の声がしたのです。