こん平の家族と笑いあうほど、いい最期だった

子育ての話をしてふと胸をよぎるのが、2020年末に亡くなったこん平のことです。15歳で田舎から出てきた当時は、いつも私にぴったりくっついて。「こん平」って名前も私が付けたんですよ。39歳で真打昇進を決めたとき、お披露目の準備に追われた私が心筋梗塞で倒れたこともありました。

こん平は16年ほど患っていて、いよいよ危ないと連絡を受けて自宅へ駆けつけたときのことです。家族やお世話になった方々がベッドを囲んで話しかけますが、フンでもなければスンでもない。

それで私ね、「何やってんの、しっかりしなさい! 私は心筋梗塞で死にかけたって、87歳のいまも働いてんのよ!」ってってやったの。そしたら急に私の手をぎゅーっと握って離さない。「何か言いたいなら手をあげて」と言ったら、もう片方の手をすーっとね。後で「一緒に連れてかれるかと思った」とこん平の家族と笑いあうほど、本当にいい最期でした。

それがね、人の情ってものですよ。血がつながっていてもいなくても、同じ家で同じ生活をして、互いに思いあっていれば家族になれる、情が通う。歳をとるまでに多少のお金を貯めるのもいいけれど、「情の貯蓄もしましょうね」って私はよく言うんです。

87歳になったいま、私はいちばん幸せです。11歳で孤児になって、それからずっと働きっぱなしの人生。でもいまは、たくさんの人の情に助けられて笑顔で過ごしていられるのが、何より嬉しい。みんなに感謝──特に嫁たちに感謝しながら(笑)、戦争の悲しみの体験と、今日の平和の大切さを伝えていきたいと思っています。