和子さんの額に手を当てるとまだ温かかった

美子ちゃんが医師と話したところによると、人工呼吸器を付け胃ろうにすれば2ヵ月は延命出来るということだったのですが、それは断ることにしました。

それから2日後、病院から容態が悪くなったという電話があり、美子ちゃんと病院に行きました。病室に入ると、和子さんが荒い呼吸をしていて、もう声も出なくなっていました。バイタルサインモニターを見ると、心拍数が146、酸素飽和度が75となっていて、さらに悪い状態になっていました。

閉じた目の目尻に涙が滲んでいました。その涙を見て悲しくなりました。あまりにも苦しそうなので、よく眠れる薬を点滴に入れてもらうよう医師に頼んで家に帰りました。

その夜、病院から「危篤の状態になりましたけど、どれくらいで来られますか?」という電話が入ったので、慌てて美子ちゃんと車で病院に向かいました。電話があってから25分後に病院に着いたのですが、病室に入ってバイタルサインモニターを見ると、すべての数値が0になっていました。和子さんの額に手を当てるとまだ温かかったので、数分前に亡くなったのだと思います。医師が入って来て、時計を見て「死亡時刻は2時35分です」と言いました。

看護師さんが入って来て、和子さんの体を拭いて浴衣を着せてくれました。その間、ぼくらがロビーのベンチに座っていると、黒のスーツに身を固めた葬儀屋さんが現れました。病院の人が連絡してくれたようです。

和子さんは葬儀屋さんのストレッチャーに乗せられ、我が家に向かいました。ぼくらも車でその後を追いました。

遺体は、和子さんが我が家に来た時、いつも庭を眺めていた部屋に寝かせてもらいました。真っ白な掛け布団、枕、枕花、白木のテーブル、ローソク立て、線香立て、リンなどがセットされました。みんな葬儀屋さんが用意してくれたものです。真っ白な布団に寝ている和子さんは、何やら神々しい感じがしました。

葬儀屋さんが帰ったあと、和子さんの額に手を当ててみると、今度は冷たくなっていました。生きていることは体温があることだという当たり前のことを、改めて知らされた気がしました。

しばらくしたら、外が明るくなってきました。