「親を超えること」が親孝行だと思う質なので、親父はバスケだったから俺は野球にしよう、とか「親のやっていたことはやらない」っていう縛りを自分に課してました。

違う道で勝負したいと思っているうちに突然亡くなってしまい、何も見せられなかったから、親父に関してはとても心残りがありますね。

のび太君なみの短パンをはいてブランコを漕ぐ、子役時代の酒井さん(写真提供◎酒井さん)

布団たたきで殴る母

そんな父とは対照的に、母はすごいエネルギーでこちらに向かってくる人。母のことはまだ、自分の中で総括できてないんですけど、すごい人だってことは確かです。気性が荒くて、言うことを聞かなければ手加減なく布団たたきとかで殴ってくる。母も巨漢だったので、こちらも遠慮なくやり返してました。

そんな関係ですから、反抗期どころか、3歳から「クソババア」って呼び始めて、現在まで呼び方は変わりません。(笑)

僕はとにかくヤンチャで、出かけるたびに泥まみれ、血まみれで家に帰ってきました。怪我や入院も当たり前。親って普通、自分の知っている、目の届く範囲の場所には行かせてくれると思うんですが、母は僕が望むなら、知らない場所でも自由に行かせてくれた。

小さい頃から「行ってきまーす」と出て行った僕の背中を見て「こいつ、今日死ぬかもしれないな」と思っていたはずですが、止めることなく送り出してくれたんです。

芸能界にチャレンジすることもそう。でも、いわゆる《ステージママ》ではありませんでした。その頃母は僕の5つ下に生まれた弟の面倒をがっちり見てたので、僕が「あばれはっちゃく」をやった時を含め、現場について来たことはないです。