『純烈 人生相談室ー僕のお腹で、泣けばいい』(酒井一圭:著/中央公論新社)

自ら「子役」を引退

「あばれはっちゃく」は、国民的な人気番組でした。4代目までのはっちゃくの先輩方とお話しする機会があったんですが、みんな、突然世界が変わってしまって、学校でいじめにあったり、かけられる言葉に傷ついたりもしたとか。

僕はと言えば、最初から注目されることもイメージしていたので、すべて想定内で「どうもどうも!」って返していたので、いじめられたりはしませんでした。

とはいえ、家にイタズラ電話がかかってきたり、窓ガラスを割られたりってことがあった。妹や弟に手を出されたら、自分がやり返しに行かなくちゃと身構えてましたね。ああ、俺の夢がこういう形で叶っても、家族には迷惑がかかるんだなとわかったので、それ以降の子役の仕事は全部断って、芸能界は一旦引退することにしました。

それに対して母は大賛成。芸能界入りに反対はしなかったものの、このまま続けたら天狗になって、最後はお縄になるって思っていたようです(笑)。好きにさせてくれた母なんですけど、子役として有名になっても、「お金を使う」ってことに関しては自由にはさせず、注視してくれていましたね。

 

「自分のぶんまで暴れてほしい」

母は、当時も今も、テレビのオンエアを見て褒めてくれたこともありません。紅白出場の時も、たくさんのお祝いメールや「凄かったね」という連絡に混じって、母からは「お前は太り過ぎで『純烈』にいらんから、いますぐ脱退せい」っていうメールが(笑)。こんなふうに、いつも罵倒し合っています。

母は大阪・ミナミのクラブ歌手でした。僕を産むのか、デビューするのか、という岐路に立たされた時、僕を産むことを決めて、それからはずっと家のことをやってきた人です。歌手の夢を諦めて24歳で僕を産んだ母は、「自分のぶんまで暴れてほしい」ってどこかで思っていたんじゃないかな? と思います。元気な母に、元気に産んでもらったことを感謝しています。