でも一番は、21歳のときに体験した母の死でしょう。ダンサーだった母は僕を出産したときに輸血したことが原因で肝炎を患い、どんどん弱っていきました。僕は自分のせいだと罪悪感を抱えながら育ち、全体的に自己肯定感の低い子どもだったんです。
中学時代に自殺未遂をして、高校時代には1年間不登校になって……。そこからやっと立ち直って出会ったのがミュージカルでした。母は、役者として初めて僕が出演する舞台の初日に、僕の下宿の浴室で脳溢血により倒れ、帰らぬ人となってしまった。
「一瞬も無駄にしないで生きてほしい」
僕はがんになって、「今日も生きてる」と言いながら太陽を拝んでいた母の姿を思い出すようになりました。「同じように見える景色でも、毎日違うのよ」と。当時はそんなのあたりまえだと思っていたけれど、母は「一瞬も無駄にしないで生きてほしい」と伝えていたのだなと今は確信しています。
父からは別の形で命について教わっている最中です。実は僕は、長い間父のことが嫌いでした。父は12歳年上の母と駆け落ちをして一緒になったと聞いています。でも僕が物心ついた頃には、無類の女好きで、酒癖が悪く、母はいつも「困ったお父さんなの」と嘆いていました。母があの日、僕の下宿に来ていたのも、諍いの末に父から逃げてきていたのでしょう。
ところが病院で冷たくなった母と対面した父は、母の髪を撫でながらキスをした。それを見たときに、夫婦にしかわからない絆があるのだなと。同時に自分のなかで父に対するわだかまりがスーッと溶けていくのを感じました。
もっともその後も、父はいろいろとやらかしてくれましたけど。母が僕に残してくれた遺産の管理を父に任せていたのですが、僕が沖縄に家を建てるから返してと伝えたら、使ってしまったと言うのです。さすがにキレて、縁を切ろうと本気で考えていた時期もありました。