母が見た、双葉山の背中
貴源治は反則技をしたわけではなく、炎鵬対策を研究したのだと思うのだが、バシッと音のする下からの顎打ちは、また見たいとは思わない。
私の母は、夫の借金と愛人問題、さらには夫の介護と、はたから見れば悲運の妻だった。しかし、母は「人を騙すことなく生きてきたから幸せな人生だ」と話していた。どうしてそんな考えになったのかと聞くと、「子どもの頃に双葉山の背中を何度も見たから」と答えた。
母は東京大空襲で自宅が全焼するまで、相撲部屋が多いところに住んでいたので、「相撲の神様」といわれた双葉山をよく見かけた。力士が前を歩いていると、せっかちな母は小走りをして追い抜いていたが、双葉山が前を歩いていると、その背中から堂々とした品格のオーラを感じ、追い抜けず、後ろについて歩いたのだという。
大相撲は、勝つだけでなく、品格ある所作、美しい技、強くても誇示しない美徳が求められる。そしてそれが少しでも崩れると、相撲ファンが、「あの力士は嫌いだ」となる不思議な競技なのだ。